故人様のお見送りはただおひとり、故人様の奥様だけでした。
「主人や私にはこれといったつながりというものがありません。葬儀はせずに、火葬にだけしてやってください」
火葬場は所沢市斎場。3時のご火葬では、場内も閑散としていました。
奥様は必要なこと以外には口を開かない方でした。
とりわけ、こちら側に心を閉ざしているとか、言いたいことをお腹の中に押し込めている、とかではなく、本当に、無口な、口を開かない方だったのです。私がなにかを問いかけると、にこりとして「はい」とか「ええ」などと仰るので、私に敵意があるわけでもないようでした。
拾骨までの待ち時間もロビーのソファで待ち、何も話をすることなく、ただ黙って、じっと天井を見上げる奥様に、私はどんな言葉を掛けるべきなのか分からず、かといって、何かすることがあることもなく、所在なく傍らに腰掛けていました。すると、「島方さん」と奥様の方から口を開かれました。
「このあたりに、美味しいごはんを食べるところはありますか?」
斎場のすぐそばにはありませんが、車で5分~10分圏内には、仕出し屋さんや和食やさんがたくさんあるので、そのことをお伝えしました。すると、
「島方さん。主人の拾骨が終わったら、一緒にいかがですか?」
「いえいえ、結構ですよ。お気遣いなさらずに下さいね」
「気遣いとかではないんですよ。ただ・・・」
と言われたきり、また黙り込んで、天井を見上げ、拾骨までの時間を静かに過ごすのでした。
私は「ただ・・・」のあとが気になるのですが、これもどう問いかけてよいのか分からず、じっとそばにいるだけでした。
火葬炉からご遺骨となった故人様が出てこられた時も、表情には何の感慨も浮かべずに、ただじっと、現実を受け入れているようでした。
拾骨は、2人で一組の箸でお骨を掴んで壺に移します。
奥様おひとりでは拾骨ができないので、私がお手伝いをして差しあげました。
丁寧に、丁寧に、1つ1つのお骨を拾い、壺に移しました。
帰り際、奥様は私に深々と頭を下げてくださり、こう仰いました。
「ありがとうございます。ひとりではなくふたりで主人を見送ることができて、よかったです」
故人様のお見送りはただおひとり。・・・じゃなかったのです。
「もし島方さんがお時間を許すのであれば、食事をご一緒したいんです。お斎は、亡くなったものを囲んで家族が飲食することで、故人を偲ぶものだと思います。よければご一緒に」
時間は夕方5時前。開店には少し早いけれど、近くの和食屋さんで約1時間、故人様の、そして奥様のお話を聞かせて頂きました。お食事の席では、奥様はいつもより饒舌だったように思います。嬉しそうに、そして時に寂しそうに語られる言葉の端々に、普段は口にして出されない「想い」がこめられており、その相手が私であったことが、なによりも嬉しく思われます。
私は常にお客様の親戚になってみせる。
そう決意させていただいた、大切な大切な、お客様です。