白骨とはー御文は法語で書かれるー
白骨、白骨の御文は、浄土真宗本願寺である八代蓮加の法語にあてはまります。
御文は、手紙のように書かれています。
内容的には、「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」という一文は多くの方が知っているのではないでしょうか?
また、この文には、「人の無常を悟り、念仏をしましょう」という意味も込められています。
御文は、蓮加の書いた消息を、圓如が編集したといわれています。
ここでの、消息とは、手紙(御文)のことです。
合計80通もの手紙が書かれ、一帖から五帖まですべて年月順に並べられています。
五帖には、年月がわからないものも進められています。
御文は、蓮加が全国にいる門徒に対して、布教活動の一部の手紙として書いていた法語で書かれていました。
また、御文は全て仮名で書かれていました。
御文は浄土真宗で読まれる
白骨とは、御文の五帖第16通目のもので、御文の中では一番有名なものです。
在覚法語を元として、書かれているそうです。
亡くなった後の一大事に直面したときに、助けになるようなことが書かれているそうです。
このようなことが書かれるのには、訳があります。
それは、「人は亡くなったあとどのようなことになるのか全く分からない」という不安があるからだといわれています。
このような不安の少しでも軽くするためには、阿弥陀仏に帰依し、称名念仏とする必要があると書かれています。
白骨の御文は、浄土真宗のお葬式やお通夜、枕行などで読まれます。
浄土真宗のお葬式に参列した時には、ぜひ耳を傾け、ここで紹介した意味を考えてみましょう。

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