
仏壇とは住居内で仏像や先祖の位牌を祀り、礼拝供養するための施設の事です。
諸仏を祀る祭壇全般を広義の意味でも仏壇と呼ぶこともあるために、家庭で祀る仏壇のことを「お内仏(おないぶつ)」と呼ぶこともあります。
仏壇には本尊と先祖を祀る
仏壇は「仏」の「壇」ですが、同時にその家の先祖を祀ります。諸仏は仏像や掛け軸で祀り、先祖は位牌(板位牌、繰り出し位牌、過去帳位牌など)で祀ります。
その家の菩提寺の宗派によって本尊(その宗派を司る仏)も異なります。
【仏壇の起源】
仏壇の起源や成り立ちには諸説あります。
持仏堂起源説
仏教が伝来して貴族社会に広まると、念持仏を安置するお堂を建造し、これを持仏堂と言います。有名なものに藤原道長の平等院鳳凰堂や、足利義満の鹿苑寺(金閣寺)などがあります。
しかし、持仏堂は一部の上流階級にしか普及しなかったという面があります。
魂棚起源説

盆に先祖や新仏を迎えるために拵える祭壇を魂棚と呼び、これを常設化したのが仏壇であるという説です。柳田国男が唱えています。
【仏壇の普及】
現在の形のような箱型の仏壇が家庭内で祀られて礼拝供養されたのは、江戸時代の17世紀から18世紀にかけてだと言われています。
天武天皇の詔
685年3月27日、天武天皇が「諸国の家毎に仏舎を作り、乃ち仏像及び経を置きて礼拝供養せよ」との詔を出しています。これにちなみ全日本宗教用具協同組合は毎月27日を「仏壇の日」に制定しています。
法隆寺にある玉虫厨子は日本最古の仏壇とされています。
禅僧による位牌の普及
鎌倉時代には禅僧たちによって日本に位牌が伝来しました。先祖祭祀の祭具として用いられました。一部の家では位牌棚を設置して、先祖を祀りました。
蓮如上人による布教
浄土真宗8代目の門主蓮如は自筆の六字名号(南無阿弥陀仏)の掛軸を信徒に授けて仏壇に祀ることを推奨しました。浄土真宗の本山の荘厳は、阿弥陀経をはじめとする経典で描写されている極楽浄土を模して大変にきらびやかで、そのために真宗仏壇も金仏壇になりました。
書院造における床の間

同じ室町時代でも、この時代は武家が台頭する時代で、彼らは浄土教よりも禅宗を好み、書院造りの床の間に仏画や仏像を祀って、仏具を備えて礼拝供養しました。
江戸時代の寺請制度による普及
上流階級では持仏堂のような施設を設える風習があったようですが、庶民の場合は江戸幕府の寺請制度が大きく影響して仏壇が普及しました。
寺請制度とは、江戸幕府がキリスト教を禁圧するために、寺院の住職に檀家がキリスト教でないことを保証する証文を作成させた制度です。幕府は全国民に寺請証文の提出を迫ったために、必ずどこかの寺院の檀家にならなければなりませんでした。
寺院と庶民は半ば強制的に密接な関係になり、身内に不幸が起きると菩提寺の僧侶から死者に戒名が与えられ、それを置く棚の設置が一般化し、箱型の仏壇が普及していきました。